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●「ナムジ」の続編となる古事記伝シリーズ第二弾「神武」。前作「ナムジ」が古代史ブーム?に乗って、スマッシュヒットしたのを受け「神武」続投が決定。物語は前作で描ききれなかった出雲国譲りの段から、クライマックスの神武東征~大和入り後までが描かれる。タイトルだけ見ると神武が主人公?と勘違いするが、前作の主役を果たしたナムジの息子「ツノミ」が真の主人公だったりします。
ナムジが於投馬(出雲)を統治した時代も過去の事となり、九州は日向の勢力(卑弥呼勢)と、近畿の纒向(オオドシ+ナガスネ勢)の二大勢力時代が到来しています。そんな中で孤島で暮らすツノミ一家は、卑弥呼の出雲国盗に利用され、時代の表舞台に否応なく連れ出されます。 ナムジという一家の大黒柱を失った後、父の代わりに家族を守ろうとツノミは必要以上に背伸びをして気丈に振舞いますが、そこには度重なる島への侵略・父ナムジや島の仲間を殺されたことに対するイズモへの憎しみ、いつか父以上に強くなって仇を討つという怒りの決意が背景にあった。が、さらに深い根底部分では、父や気性の弱い弟に深く愛情を注いでいた母親に、自らが成長し家族を守る姿を見せることで、父と同じように深く愛されたい気持ちがあり、全編を通じて、ツノミの母親への一種の恋愛感情(簡単にいうとマザコン)が、彼を突き動かす原動力になっているようです。思えば、過去の作品「アリオン」や「クルドの星」でも主人公マザコン入ってましたよね。結構マザコン主人公描くのが好きなのかも・・・安彦氏。 さて、ツノミはイズモを出て伯父オオドシのいる纒向に招かれて以後、各地を流転しながら精力的に活動していきます。そんな中でツノミは多くの人と出会いや別れを経験していきますが、根底に流れるコンプレックスは消え去らずにくすぶり続けます。全ては母に認められたい一心で・・・そのために彼は周囲が見えなくなり、猪突猛進の末様々な失敗を繰り返し、多くの人を傷つける結果になってしまいます。ツノミの無粋というか野暮さがなんとも読者をイラつかせますが、このあたりのツノミの心の動きと、古事記の物語の流れとの連動が絶妙で、上手い具合にまとめたものだと感じました。 しかし、全5巻に収める為(紙面の関係)だったのか、原作(古事記)の流れがそうなのか、物語がやや寸断される印象が途中に見受けられます。ちょうど第三部に入る、天若日子(アメノワカヒコ)登場部分ですね。第2部終わりでようやくツノミとイワレヒコ(神武)が出会い、この後どうなっていくんだろう!?と期待していたところ、一転して場面が変わり二年後から始まるので、あれれれ??と、首をひねってしまいました。しかも、ツノミとワカヒコ同じ顔してるし・・・確か古事記でもツノミがワカヒコに間違えられる描写があると読んだ記憶があるので、これは原作に忠実なのだろう。しかし、ツノミの妹のテルヒメは兄貴そっくりな人と結婚することに、何の抵抗もなかったのだろうか?そこが最大の謎だ・・・ この、天若日子のエピソードは速攻終わってしまい、それと同時に序盤から伏線になっていたツヌヒコ(事代主)の悲劇?もここでクリアされます。最初に「可哀相な弟」なんて気をもたせるような書き方してたから、どんなエピソードなんだろうと期待してたんだけど・・・やけにアッサリしてました(苦笑)。このエピソードはツノミが家族(特に母親)やイズモと決別する、重要な物語の転換部分なのですが、あまりに駆け足で流した為にワカヒコ・サルタヒコ・ツヌヒコの存在感が希薄になってしまった気がしますし、全体の流れに違和感を与えているように感じました。これが私のオススメ度減点対象に・・・うーん、もったいねェ。 このように「神武」では、非常にたくさんの登場人物が現れては消えていきます。長い物語と多くの登場人物を限られた紙面でまとめるには、著者である安彦氏もかなりの苦労があったのでしょう。そう思うと減点は心苦しい面もあります。キャラクターを一人一人、大事に使い切るのは非常に難しいことなのですね。 キャラクターの描写に関しては、特に卑弥呼が強烈な描かれ方をされています。権力を手中に収める為、あらゆる手段で人々を翻弄していく卑弥呼。しかし、若く美しかったその容姿も、心が権力に囚われた時から徐々に衰えていき、晩年の権力や生に執着する姿は哀れですらあります。最後の死に方は「アリオン」のゼウスの死に様とかぶってるのでなんか笑ってしまいましたが・・・。 また、序盤でスセリの年老いた姿と、タギリに対するジェラシーが渦巻いたその態度になんか・・・妙に哀れを感じてしまって少々鬱になってしまうシーンがあります。ミナカタなんかの扱いに至ってはわずか一コマしか出てこない。同じナムジの息子なのにね。まあ、その後諏訪で独立王国を築いたというからそれでよしとするべきか。あと1点気になる部分、物語後半神武が大和入りして以後は、ミトシとツノミの関係に焦点が絞られていきますが、前半の若かりし日にもう少し二人の恋模様が描かれていればなあ、と思いました。 物語中、オオドシが語ります。「人の一生は短い。なのに人は大きな夢をみたがる。夢があれば一生は無にならないが、叶えられない夢は一生を笑って見返す。親から子、子から孫へと引き継がれぬ限り大きな夢は叶わないだろう。」・・・その言葉の通り、オオドシは一代で纒向周辺の部族をまとめることができませんでした。そして、ツノミも晩年に子供を持ち、身に余る安らぎと守るべきものを得ますが、同時にままならぬ老いと死を感じます。短い一生の間に出会っては別れ行く人々・・・そして、そうした人々の営みを雄大な御山は永い時の間に見下ろし続けている。人の一生の短さと、御山(自然)の雄大な時間の流れの対比が、生きるという一瞬の輝きの眩しさを際立たせているように感じます。 物語の括りは必ずしもハッピーエンドではないけれど、余韻の残る良作で、ナムジと続けて読む価値は充分あると思います。若干物語の長さからか、駆け足で通り過ぎる場面がありますが、全体としてよくまとめた方でしょう。もちろん、安彦作品に一貫する「窮地は誰かが助けてくれる」という王道の図式と、このシリーズお約束の牢屋監禁もあります(笑)ので是非読んでみてください。 尚、このシリーズは当初、安彦氏の中では長期にわたる執筆を構想されていた(神武あとがきより) ・大和国が再び戦乱に満ち、盆地から外征に打って出る「崇神期」 ・邪馬台を討ち、出雲を従え東国の先住民社会を窺う「景行期」 ・出雲族の母国朝鮮と相渉る「神功期」 以上の3期がそれだが、8年たった2003年現在も実現されていない。「神武」があまり売れなかった為だろうか?(神武のハード本、ナムジと違い中古流通量少ないですからね) その後この古代史シリーズで実現したのは、徳間書店から講談社に舞台を移し、2001年に「蚤の王」(日本書紀記述)が執筆されたノミです。既に安彦氏はこの構想を忘れているかもしれないですが(サイン会で古事記の続き書いてくださいとファンの質問に、書きましたよ?と返事が返ってきたという・・・)このシリーズのファンとしては是非実現して欲しかったですね。 【古事記の中の神武】 ●角身のことばかりでイワレヒコのことは書かなかったんで補足。タイトルの「神武」とは、初代天皇神武のことを指します。安彦版神武では穏やかではあるが、芯のしっかりした人物、運命に翻弄された不遇の人物として描かれているが、原作ではどのような人物だったのでしょうか? 神武は、鵜葺草葺不合命 (ウガヤフキアヘズノミコト)と、玉依姫命 (タマヨリヒメノミコト)の間に、庚午年(紀元前711) 1月1日に生まれたとあり、呼び名は「ナムジ」同様多く・・・ ・神日本磐余彦尊 (カムヤマトイワレヒコノミコト) ・狭野 (サヌ、サノ) ・若御毛沼尊(ワカミケヌマ) ・豊御毛沼尊(トヨミケヌマ) ・始馭天下之天皇 (ハツクニシラススメラミコト) ・彦火火出見 (ヒコホホデミ) ・宇禰備能可志婆良能宮御宇天皇 (ウネビカシハラノミヤニアメノシタシロシメス) と、(古事記と日本書紀が混ざってますけど)覚えられそうも無い長い名前があります。「日本書紀」の記述によると、神武天皇の即位は辛酉年(紀元前660年)の元旦(現在の建国記念日(太陽暦の2月11日)は明治政府が「この日が日本書紀に記されている辛酉年の元旦にあたる」として定めた)、そして没年:神武76年(前585)3月11日・・・実に127歳!!という長寿に設定されています。現代の日本人女性の平均寿命が84.93歳・男性78.07歳(厚生省2001年調)ですし、127歳なんて現代でもギネスモノではないでしょうか? そして紀元前660年頃というと、日本では縄文時代晩期・・・当然、こんな話はデタラメと思われても仕方がありませんネ。 さて、神武は九州南部一帯である日向の地から、天下を正しく治めるために(太陽のお出ましになる)東の地へ遠征することを決めます。(どうやら九州は西に位置してるのでダメポと思ったようです) 神武は兄、五瀬命(イツセノミコト)とともにのんびりと16年(笑)ほどかけてようやく大阪にたどり着きますが、登美の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が待ち受けており攻撃されます。五瀬命は「太陽の神の子である我らが、太陽(東の方角)に向かって戦うのはよくないので迂回し、背に太陽の光を受けて討とう」と、紀伊半島を迂回することになる。が、その後五瀬命は手に受けた矢傷が元で死亡する。 一人になった神武は五瀬命の代わりにリーダーとなり、一行を率いて半島を迂回し、熊野(和歌山・三重県一帯)から侵入を試みる。そこで出会うのが天から使わされた八咫烏(ヤアタカラス=ツノミ)・・・と、まあこんな具合に神武は挫ける事無くひたすら大和入りを目指し、目的を果たすことになります。紀伊半島を大きく回りこんで、険しい山を越えていくのは、当時の環境を考えれば想像を絶する旅路だということが容易に想像できます。その旅を実現させた行動力、並ならぬ強い意志を持つ人物像が浮かび上がりますね。 この物語が事実なのかどうか・・・真実は闇の中です。そもそも神武の存在自体が想像上の人物だという説もあります。神武の大和入り後の詳細もあまり記されていなかったり、神武以降9代までの天皇の史実もほとんど記載が無く(欠史八代)、第10代の崇神こそ初代の天皇だという説、神武は崇神を神格化したものだという神武=崇神説、さまざまな諸説が展開されている現状です。しかし、こうした旅程が記録として残っていることは、神武でなかったとしても、何者かが纒向大和に向かい日向と纒向大和との二大勢力を統合した(侵入経路を考えても流石に武力征圧ではないだろう)可能性はありえるのだろう。 【関連リンク】グーグル検索:神武64,300件/ヤタガラス2,300件/武角身41件(W という結果でした。わかりやすそうなサイトをピックアップ。 【あらすじ】 ●ナムジ達一家は沖ノ島に移住して十数年がすぎた。だが、邪馬台と於投馬の争いは孤島に暮らす彼らをも巻き込んでいく。卑弥呼の指示により邪馬台の軍は沖ノ島を包囲し、ナムジの世継ぎの御子、ツノミの弟であるツヌヒコ(事代主)を於投馬の傀儡王に据えようとするのだった・・・。 【簡単コミックデータ】 ●2003/07現在、新刊書籍が入手できるのは、中央公論新社の文庫版のみです。書店で注文すれば取り寄せ可能。AMAZONなどweb購入もありです。中古市場では初期の徳間書店刊ハードカバー版は、出荷量が少なかったのか美品入手はややしにくいかも知れません。本の程度にこだわらなければすぐに見つかると思います。
【その他】
●卑弥呼などが活躍する時代を描いた他の作品では、手塚治虫の「火の鳥 黎明編」を思い出します。この作品では猿田彦が序盤から大活躍したので非常に印象深かったのですが、安彦版神武ではアッサリ死んでしまうので結構ショックだったりしました(笑) この「火の鳥」シリーズは手塚治虫のライフワークとして描かれつづけましたが、途中で亡くなられたため未完のまま終わっています。各編ごとに独立した物語がそれぞれに繋がりながら、時間がループしているかのような不思議な物語。しかし、実際にはループしているのではなく、螺旋を描いていることに読者は気づくはず。かなりの長編ですが感動する物語です。ちなみに、2004年春にNHK製作でアニメ化されることが決定しています! 是非一度読み比べしてほしいオススメ作品です。
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